なぜ日本人は新興宗教に偏見があるのか?怪しい教団を見抜くたった1つのポイント




少し前ですが、清水富美加さんが新興宗教の幸福の科学に出家するというニュースで、連日ワイドショーは賑わっていました。

 

一部では同情的な反応も見られますが、基本的には、清水富美加さんをバッシングする内容が多いですね。

当初は幸福の科学への反応が多かったですが、しばらくすると、出演予定の番組や映画の降板報道が続々と現れています。

 

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世間の反応は、同情的というニュースもあります。

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とはいえ、世論が味方になっているとは個人的には思いません。

仮に世論が清水富美加に同情的であっても、

私たち個人個人では、やはり清水富美加のバックレには「違和感」をぬぐえないのではないでしょうか。

 

違和感の正体は、間違いなく「幸福の科学に出家」という今後に対するものです。

 

やはり、偏見を持ってしまうのが、私たちです。

この記事は「清水富美加の出家を通して、日本人が持っている宗教への意識を考えてみよう」という趣旨です。

 

  • なぜ日本人は宗教を毛嫌いするのか?
  • 頭ごなしに信じるのも、否定するのも、同じくらいカルト(非理性的)ではないのか?
  • その宗教は健全なものであるかどうかを判断するポイントは?

 

これらのことについて、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

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もしも逃げ出した先が幸福の科学ではなかったら?

もしも清水さんが普通に、幸福の科学の名前を一切出さずに、ただ逃げ出した。

それだったら、世間の反応はどうだったでしょう?

 

「またレプロか!」

「許さん!」

「才能ある女優をダメにした芸能事務所の罪は大きい!」

 

こうした批判であふれかえったことでしょう。

坂上忍や和田アキ子らはともかく、世論は完全に清水富美加に味方したでしょう。

 

仕事をすっぽかしたことについても同情的で、

「昨今の労働問題(ブラック企業問題)にかこつける論調が大勢を占めた」と予想されます。

 

代りのきかない仕事に辞め時なんかない

そもそも仕事の辞め時なんて、一般企業であっても非常に難しいものです。

どの企業であっても、抱えてる仕事放り出して辞めるものです。

引き継ぎがあっても、完ぺきに引き継げるわけではありません。

 

まして女優業・タレント業は、非正規雇用で、代わりのきかない仕事。

ですから、放り出す以外に辞めようがありません。

 

そこを責めるのであれば、病気になった芸能人に対しても同じ論理を適用できないのでしょうか?

「勝手に病気になりやがって!」と責めるべきでしょう。

 

清水富美加さんは相当追い詰められていたと告白しています。

そこを信用すれば精神的にはほとんど病気だと言えます。

 

もしも、清水富美加さんが、ただ逃げ出しただけであれば、

これほど責められることはなかったでしょう。

 

もしも伝統宗教への出家だったら?

 

あるいは、家庭の信仰する宗教が幸福の科学ではなかったら?

キリスト教や仏教などと言った、伝統宗教に出家していれば、世間の反応はどうだったでしょう?

 

――家がカトリックないしプロテスタントなので、神学校に通います。

――家が曹洞宗ないし浄土真宗の住職なので、お寺を継ぎます。

 

もしも、こういう家庭事情であれば、「出家」に対して問題視はされなかったでしょう。

 

彼女はこんなコメント出していました。

 

「神(仏)のために生きたい」

「芸能活動で苦しんだ自分の経験を活かして、つらい環境で働く人たちの支えになりたい

 

これ、キリスト教や仏教だったら、むしろ応援したくなりませんか?

 

ううむ、自分で仮定していても、応援したくなります・・・(笑)

 

まして「洗脳」なんていう言葉は、誰の口からも出てこないでしょう。

 

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出家問題の本質は、新興宗教に対する私たちの不信感

 

つまり問題の本質は、清水富美加さん本人にあるのではない気がします。

本質は、幸福の科学という新興宗教にある、ということになります。

 

より正確に言えば、「幸福の科学に抱いている私たちの印象」が問題の本質です。

 

もしも新興宗教への信仰が、違和感なく受け入れられている社会であったとしたら?

 

清水富美加さんの出家・引退もこれほど騒がれはしなかったでしょう。

 

私たち日本人が持つ、宗教(特に新興宗教)に対する根本的な不信感。

これが、清水富美加さんへのバッシングを強めていると言えます。

 

もちろん、この記事は、特定の宗教団体を擁護する目的はありません。

 

しかし、宗教一般に対する盲目的な不信感・偏見を日本人が抱いている。

このことは、ある程度事実かと思います。

 

同じ不信感を抱くにしても、多少は論理づけた「根拠のある不信感」にすべきだ、と思います。

 

まとめ 宗教を信用できない理由を考えよう

清水富美加さんの出家騒動は、

日本人の宗教に対する偏見を浮き彫りにさせるニュースであったと言えます。

 

「なぜ幸福の科学を信用できないの?」という問いに対して、

「カルトだから」などという回答しかできない。

これでは不毛な議論にしかなりません。

 

たちまち「なぜカルトだと思うのか?」と問い返されます。

以降は同じ水準の質問と回答が延々と繰り返されるだけです。

 

今回のニュースは、宗教についてまじめに考えてみる、いいきっかけかもしれません。

 

ある宗教を判断するポイント

「目に見えないものを語り、それを真理と断定する根拠」にあります。

 

つまり「おたくの宗教では、何を根拠に神だの仏だのを語っているのか?」ということです。

 

この観点では、幸福の科学の本質は「霊言」にあると言えます。

 

「大川隆法総裁は、どんな霊でも呼び出せるよ。
霊にはそれぞれ個性があって、話す内容は全然違うよ。

大量に霊言やってるよ。
こんなこと大川総裁以外できないよ。
だから霊言は本物なんですよ。

そして霊は霊界にいるから、天国や地獄はあるよ。」

 

こんな感じですね。

こんな論理を伝道のより所にして、幸福の科学は布教活動をしているのです。

 

さて、理屈は分かった。では霊言は本当に信用できるのか?

 

決して信用することはできないように思えます。

その根拠は、以下に書いてみました。よかったらご覧ください。

 

(関連記事)幸福の科学の霊言の特徴を詳細検証! 見えてきた嘘から教団の限界が露呈する!

 

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